ニューヨークからのメッセージ (創部50周年記念会)

Dear Mr. Tsunoda,
角田光男様

 メール受け取りました。初代主将の綾野さんの訃報を知り、驚きました。角田さんの追悼原稿も読むことができました。このメールを50周年記念の当日、読んでいただけたらと思いながら、メールを打っております。

 私は10月16日から28日までニューメキシヨ州アルバーカーキー市での真武道会設立30周年セミナー (合気道講習会) に出かけます。東京工業大学合気道部の50周年の件は川口君から聞いておりました。彼は合気道部の出身で私のニューヨーク道場で何度も稽古したことがあります。従って、ニューヨークでの私の活動は会場にいる川口君に聞いてください。東工大とは縁が繋がっていました。

 さて、50年前の話から始めましょう。綾野さんが合気会本部道場で稽古していたとき、私は指導員をしておりました。植芝吉祥丸先生 (当時は本部道場長、後の2代道主) からの依頼で、綾野さんの活動を支援するように要請されました。当時私は早稲田大学合気道会を指導しておりましたから、大学生には慣れておりました。初めての合宿は、千葉県富津市の民宿でした。今ではありえませんが飴と鞭に喩えれば、飴100パーセントの合宿で、夜は一緒に卓を囲む、ピンポンではありませんよ、四角いパイのような飴で遊んだのを覚えています。会場には身に覚えのある方もおられることでしよう。以後は、早稲田と同じ方式で厳しく指導しました。合同稽古も何度も行ないました。1974年春、私は藤平光一師範部長が合気会本部道場を去るとき、一緒に退職しました。その際、早稲田は本部道場で稽古している関係もあり合気会に残りましたが、植芝先生の計らいで東工大だけは私の預かりという形で、気の研究会に所属することになりました。1975年夏、私が米国でニューヨークを中心に長期指導することになり、それに伴い東工大の方は気の研究会の指導員になった吉ヶ崎 (よしがさき) さん (在ベルギー) に引き継ぎをした次第です。その後の活動は皆様方のご存知の通りです。

 私事ながら、12月で80歳になりますが、まだまだ元気で稽古に、指導に励んでおります。特に私の指導を受けたことがある方々は,当時私との年齢差はあまりなかった筈でしたが、今は私より老け込んでいる方はいませんか。どうか往年の出来事を思い出し、少しでも体を鍛え続けてください。

合掌
今泉鎮雄

「その時私は」物語: 東工大合気道部創生記 目次

高橋達人 tatsuaiki7@gmail.com